蓮華寺の境内に位置する轟の森神社では、例年10月第2日曜日の秋祭りで大神楽が奉納される。この大神楽は蓮華寺に残る文書によると江戸時代初期、延宝9年(1681年)に始められたとあり、保存されていた締め太鼓の収納箱には安永3年(1774年)の墨書きが、また、現在使用している神楽太鼓を修理した際には内部に文化2年(1805年)の墨跡が認められている。
祭礼当日は、午前7時頃から大神楽保存会の一行が轟区内各戸を獅子舞で御祓いすることから始まる。獅子舞は神が宿った獅子頭を被り、各家の門で4種類の舞を舞って、災いを祓い五穀豊穣を祈願する。正午からは神社の本殿で祭礼が執り行われ、神官による御霊移しの儀を終えた後、神輿が神社境内から文化芸能伝承館に設けられた御旅所に移される。( 神輿は傷みが激しいため今では文化芸能伝承館に保管され、地区内に神輿を繰り出すことがなくなった。従って、現在御霊移しの儀は中断状態にある )
御旅所では子どもたちによる「そもそも」という大神楽の口上を述べた後、太鼓の打ち出しが始まり狂言獅子舞(遊び獅子)が奉納される。この遊び獅子は天狗、お多福も加わりユーモラスな問答を繰り広げ、楽しみにする方も大変多いのであるが、現在では隔年(西暦奇数年)での披露となっている。
この他に、かつては神輿の御神幸に合わせて鬼が出て子供たちを追いかけまわしたり、遊び獅子が行われる前に女形の道中という獅子の曲芸で祭りを盛り上げていたという。なお、この大神楽は昭和54年(1979年)に「轟大神楽」として [豊岡市指定民俗無形文化財] に登録されている。
獅子舞は、着物に袴、足袋に下駄といういでたちで、1人が獅子頭を操り、もう1人が尾を持ち後ろをついて回る二人立ちで行う。囃子方は御神体が祀られた屋台の上の神楽太鼓の両面と、上に向けた締め太鼓の片面を1人が打ち鳴らす。太鼓は時に合いの手を入れ、4、5人の笛が節を奏でる。舞には次の4種類があるが、区内を巡行する際には省略して「幣の舞」と「喜悦の舞」を舞う。ただし、区長宅や蓮華寺などでは全ての舞を舞っている。
「幣の舞」 | ||
右手に神楽鈴、左手に御幣を持ちその場を祓い清めるように最初に舞う | ||
まず玄関に入り御祓いを行う |
神楽鈴を回し御幣を振り下ろす |
新豊岡市誕生10周年記念式典出演 |
「乱獅子(乱れ獅子)」 | ||
刀の鞘を咥え、全身を高く伸ばし猛々しく舞う。「遊び獅子」では剣を収めた鞘を両手で持った天狗が獅子に相対して同じように舞う。 | ||
蓮華寺境内 |
神楽太鼓を両手で打つ(豊岡市役所で公演) |
体を最大にする |
「剣の舞」 | ||
刀の鞘を咥え、右手に持った刀を「シャーッシャー」と振り降ろしながらゆっくりと舞う。「遊び獅子」では剣を手にした天狗がもう一方の手を高い鼻に翳し、獅子に相対して同じように舞う。 | ||
刀をゆっくりと払う |
旧細田邸 |
蓮華寺境内 |
「喜悦の舞(歓喜の舞)」 | ||
最後に何も持たないで、勢いをつけるが如くに低くうねり、吠えるが如くに高く伸びる。時に玄関に突進するように激しく舞う。 | ||
唸り声が聞こえてくるようです |
舞い終わった家々から「初穂料」を頂く |
伸び上ってガブリ |
周囲の様子 | ||
獅子に頭を噛まれると健康で賢く育つという | ||
たいがいは泣き出してしまうが… |
自から噛まれる勇気ある子供たち |
太鼓も笛も合わせるのがとても大変 |
笛も太鼓も交代しないと体が持ちません |
笛 |
昔ながらの土間のある家では中で舞います |
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2014年獅子舞【蓮華寺の境内】 御旅所に祀られた神輿の前で、衣冠装束に扮した子供たちによる
「そもそも」と称される神詞が奏上される。この「そもそも」が終わるのを合図に太鼓が打ち出され、獅子舞「幣の舞」が始まりその場が祓い清められる。此処から御神楽(獅子)さんの道行が始まり、やがて御神楽さんは眠り込んでしまう。ほどなくして天狗が出現、得体のしれぬ御神楽さんに興味を抱き、御神楽さんの尾を引っ張る、体を飛び越えるなど、棒ささらを擦りながら御神楽さんの周囲をまわり、じっくりと安全を確かめる。そして恐る恐る頭の前に座し、つくづくと御神楽さんを覗き見る、だが、我が面貌とは全くの大違い、吃驚仰天、お多福を呼び出す。そして、御神楽さんの目、耳、鼻息、歯などの不審をユーモラスな仕草でお多福に問い質し、今更乍らに我が面貌との違いに驚き感じ入る。やがて御神楽さんに起きて頂きたくお多福を呼び、日の丸の扇で三回招くと起きてくれることを知る。天狗は教えの通り御神楽さんを起こし扇を翳し乍ら御神楽さんとの道行を始める。突如御神楽さんが天狗の肩を噛む。吃驚仰天、お多福を呼び何故噛んだのか訳を質す。お多福曰く、御神楽さんが日の丸の扇を所望とのこと、天狗は機を見て扇を御神楽さんに与え道行きは終わる。引き続き獅子舞「乱獅子」「剣の舞」を天狗と相対し舞う。次いで獅子のみにて「喜悦の舞(歓喜の舞)」で舞い終わる。
〜 天狗とお多福の問答 〜 |
天狗、寝入っている御神楽さんの頭の前に座し、両手をかざしながらしばらく大きな頭を見回す。 そして、自分の面貌との違いに仰天、頭上で棒ささらを打ち鳴らしお多福を呼ぶ、 お多福、これを合図に銅拍子を打ち鳴らしながら登場、天狗の前に座る。 お多福 「天狗さん、天狗さんなんでございましょう」 天狗 「お多福さん、お多福さん、ここに大きなきくらげの様なものがございますが これは一体なんでございましょう」 お多福 「それは御神楽さんの耳、耳でございます」 天狗 「(自分の耳と比べ驚きながら)へえーっ、耳、耳でございますか、耳でございますか」 天狗、またもや恐る恐る御神楽さんの頭を見回し驚く。 天狗 「お多福さん、お多福さん、ここに真黒な雲の様なものがございますが これは一体なんでございましょう」 お多福 「それは御神楽さんの眉毛、眉毛でございます」 天狗 「(自分の眉毛と比べ驚きながら)へえーっ、眉毛、眉毛でございますか、眉毛でございますか」 天狗、またもや恐る恐る御神楽さんの頭を見回し驚く。 天狗 「お多福さん、お多福さん、この奥のほうからピカーと光っているものがございますが あれは一体なんでございましょう」 お多福 「それは御神楽さんの目、目でございます」 天狗 「(自分の目と比べ驚きながら)へえーっ、目、目でございますか、目でございますか。 それは、どうもご苦労様でした」 お多福、銅拍子を打ち鳴らしながら退場。 天狗、しばらく御神楽さんの周囲で様子を窺う。 そして、再び頭の前に座し両手をかざしながら、まだまだ腑に落ちないと頭を見回す。 またもや仰天、再び棒ささらを打ち鳴らしお多福を呼び出す。 お多福、銅拍子を打ち鳴らしながら登場、天狗の前に座る。 お多福 「天狗さん、天狗さんなんでございましょう」 天狗 「お多福さん、お多福さん、ここに大きな富士山のようなものがございますが これは一体なんでございましょう」 お多福 「それは御神楽さんの鼻、鼻でございます」 天狗 「(自分の鼻と比べ驚きながら)へえーっ、鼻、鼻でございますか、鼻でございますか」 天狗、またもや恐る恐る御神楽さんの頭を見回し鼻に手をかざしながら驚く。 天狗 「アッチッチッチーッ、お多福さん、お多福さん、 この大きな穴の奥から熱い湯気のようなものがブワーッと噴き出してまいりますが これは一体なんでございましょう」 お多福 「それは御神楽さんの鼻の息、鼻の息でございます」 天狗 「(自分の鼻の前に手をかざし驚きながら) へえーっ、鼻の息、鼻の息でございますか、鼻の息でございますか」 天狗、またもや恐る恐る御神楽さんの頭を見回し驚く。 天狗 「お多福さん、お多福さん、ここにギラーッと輝く大きなのこぎり歯のようなものがございますが これは一体なんでございましょう」 お多福 「それは御神楽さんの歯、歯でございます」 天狗 「(自分の歯と比べ驚きながら)へえーっ、歯、歯でございますか、歯でございますか。 それは、どうもご苦労様でした。」 天狗、しばらく御神楽さんの周囲で様子を窺う。 そして、再び頭の前に座し両手をかざしながら恐る恐る頭を見回す。 そして、棒ささらを打ち鳴らしお多福を呼び出す。 お多福、銅拍子を打ち鳴らしながら登場、天狗の前に座る。 お多福 「天狗さん、天狗さんなんでございましょう」 天狗 「お多福さん、お多福さん、この大きな御神楽さんに起きて頂くにはどうすればよいでしょうか」 お多福 「それは日の丸の扇で三回お招きになりますと、御神楽さんが起きてまいります」 天狗 「日の丸の扇で三回招くと起きて頂けますか。それは、どうもご苦労様でした。」 お多福、銅拍子を打ち鳴らしながら退場。 天狗、日の丸の扇で三回招くと御神楽さんが起き上る。 そして、天狗を相手に御神楽さんの道行が始まる。 天狗 「(御神楽さんに突然肩をかまれて驚き)ワッタッタッタッターッ」 天狗、慌てて棒ささらを打ち鳴らしお多福を呼び出す。 お多福、銅拍子を打ち鳴らしながら登場。 お多福 「天狗さん、天狗さんなんでございましょう」 天狗 「お多福さん、お多福さん、御神楽さんに肩をガブーッと噛まれましたが、 一体どう云うことでしょう」 お多福 「それは、御神楽さんが日の丸の扇をほしいと言っておるのでございます」 天狗 「ヘェーッ、御神楽さんが日の丸の扇をほしいと言っておられますか。 それは、どうもご苦労様でした。」 天狗、日の丸の扇を御神楽さんに咥えさせ、御神楽さんの道行は終わる。 |
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2015年狂言獅子舞(遊び獅子)森神社は、そもそも阿古谷神社として現在の中竹野小学校の公園あたりに位置していたが、明治初年に焼失し蓮華寺境内(鐘楼堂の奥)の八幡神社に合祀された。その後、神仏分離令により明治五年(1872)現在の位置に移された。なお、祀られているのは森大明神(土師連租吾笥命)、大山祇命、春日大明神、八幡大神である。
御旅所に祀られた神輿の前に衣冠装束に扮した中学生の「社人」2名が立ち、その社人に向かい合わせに小学生高学年の「三者」3名、低学年の「太刀担げ」3名が座る。そして社人が「そもそも」という次の神詞を唱える。このそもそもが終わるのを合図に大神楽の舞いが始まる。
神輿は秋祭りでは最も重要なものであり、祭りの最初に神社で神官による「御霊移しの儀」によって神霊が神輿に鎮まり、これに乗って御旅所や地区内を移動されるものである。御旅所とは神様が泊まったり休憩されるところで、神輿がここに納まって初めて秋祭りが始まる。以前は森神社においても「宵祭り(宵宮)」があり、この様な儀式が行われていたのであったが神輿の傷みも激しく、また森神社境内までの長く急な石段を上り下りする担ぎ手がいなくなった等の理由によって、現在では文化芸能伝承館(御旅所)に据えられたままとなっている。現在は神輿は出ないで代わりに子供達が山車を引いて地区内を廻っている。以前は10月14日宵祭りの午後、そもそも、獅子舞(幣の舞)の奉納に続き神輿の御神幸となった。夕刻まで地区内を巡り、決められた家々で参拝を受けお酒や御馳走が振る舞われた。翌日の本祭りは神社で祭典を終えた後、昼過ぎから遊び獅子に続いて再び夕刻まで神輿の御神幸が行われた。その昔は竹を持った露払いを先頭に法螺貝や笛、三味線、締め太鼓、天狗、赤鬼、青鬼等担ぎ手を含んだ40人を超す大行列が村中を巡る盛大なものであったという。
現在では御旅所は祭りの前日朝に開かれ、神輿には金幣、大鉾、榊、御神灯が飾られ、御神酒、洗米、塩、水、御餅、赤飯が供えられる。
〜 神輿の由緒 〜 |
一昔前までは、当地区の子供たちにとって秋祭りと鬼は切っても切り離せないものであった。本祭りの午後、遊び獅子が終わると神輿の御神幸が始まるのであるが、これに合わせて背丈を超える黒い角棒(六角)を持ち髪を振り乱した恐ろしい形相の赤鬼、青鬼が出没する。鬼は子供たちを追い回し、子供は必死に逃げ惑う。勇気を示そうと「どんよー」と遠くから鬼をからかう。そして一目散に逃げる。逃げ場を失った子供は近くの家に土足で駆け込み押し入れに隠れる。半日を走り回った子供たちは祭りを堪能し、疲れ果てその日はぐっすりと眠ってしまう。現在、交通事情等の理由で、このような楽しい光景が見られないのはとても寂しく、子供たちにとっても身近で伝統文化に触れ合えるとてもいい機会を失ってしまったのは残念である。
昭和の初め頃までは「女形の道中」と呼ばれる獅子の曲芸が遊び獅子の奉納前に披露され、大そうな賑わいを見せていたという。これは一人の肩に獅子頭を被ったもう一人が乗り、肩の上で立ち上がって笛に合わせて踊ったり、獅子頭からお多福に早変わりし傘を回したり銅拍子を打って踊ってみせた。昭和63年にその踊りを試みたが写真のように立ち上がるのが精いっぱいでとても踊れる状態ではなかったという。
「轟大神楽」のまねきが上がる
芝居小屋「出石・永楽館」
第51回近畿・東海・北陸ブロック
民俗芸能大会出演
(2009年)
子供だんじり、小さな子供たちが山車に乗り太鼓をたたく
年号 | 西暦 | 出 来 事 |
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延宝9年 | 1681年 | 蓮華寺境内の八幡神社(現森神社)に大神楽が奉納される |
昭和47年 | 1972年 | 轟大神楽保存会を結成する |
昭和52年 | 1977年 | ふるさと文化センター落成式(竹野町轟)に出演し獅子舞を披露する[竹野町] |
昭和52年 | 1977年 | 兵庫県くすの木賞を受賞する |
昭和52年 | 1977年 | 豊岡高校(定時制)30周年記念式典(同校)に出演しそもそも、遊び獅子を披露する[豊岡高校] |
昭和52年 | 1977年 | ふるさと芸能祭り(豊岡市民会館)に出演し獅子舞を披露する[但馬県民局] |
昭和54年 | 1979年 | 竹野町(現豊岡市)指定の民俗無形文化財に登録される |
昭和56年 | 1981年 | ポートピア'81(ポートアイランド兵庫縣館)に出演し遊び獅子を披露する[兵庫県] |
昭和56年 | 1981年 | 山車を新調し子供だんじりが始まる |
昭和57年 | 1982年 | 竹野町第2回ふるさとまつり(竹野小学校)に出演し遊び獅子を披露する[竹野町] |
昭和57年 | 1982年 | 第4回全但バス観光産業奨励賞を受賞する[全但バス株式会社] |
昭和58年 | 1983年 | 竹野町文化祭式典(中地区文化センター)に出演し獅子舞を披露する[竹野町] |
昭和60年 | 1985年 | 鷹野神社宮司認証式典(鷹野神社)に出演し獅子舞を披露する[鷹野神社] |
昭和61年 | 1986年 | 北前船竹野寄港歓迎式(竹野浜特設会場)に出演し獅子舞を披露する[竹野町] |
平成元年 | 1989年 | 竹野町文化祭式典(中地区文化センター)に出演し獅子舞を披露する[竹野町] |
平成4年 | 1992年 | 生駒ふれあい祭り(生駒市)に出演し遊び獅子を披露する[竹野町] |
平成6年 | 1994年 | 大但馬展(豊岡市総合体育館特設会場)に出演し獅子舞を披露する[竹野町] |
平成6年 | 1994年 | 但馬・理想の都の祭典・香住海中公園展開場式に出演しそもそも、遊び獅子を披露する[竹野町] |
平成9年 | 1997年 | 生駒ふれあい祭り(生駒市)に出演し遊び獅子を披露する[竹野町] |
平成10年 | 1998年 | 但馬食文化祭'98(和田山町)に出演し獅子舞を披露する[竹野町] |
平成11年 | 1999年 | こうのとり郷公園オープニングセレモニー(豊岡市地場産会館)に出演し獅子舞を披露する[竹野町] |
平成14年 | 2002年 | 鷹野神社大萬燈祭(鷹野神社)に出演し獅子舞を披露する[鷹野神社] |
平成15年 | 2003年 | 中竹野ふるさと館竣工式典(中竹野ふるさと館)に出演し獅子舞を披露する[竹野町] |
平成17年 | 2005年 | 北前まつり(竹野浜特設会場)に出演し獅子舞を披露する[竹野町商工会] |
平成18年 | 2006年 | 蓮華寺本堂落慶法要式典(蓮華寺境内)に出演し獅子舞を披露する[蓮華寺] |
平成21年 | 2009年 | 第51回近畿・東海・北陸ブロック民俗芸能大会(出石町永楽館)に出演し遊び獅子を披露する[豊岡市] |
平成26年 | 2014年 | 豊岡市役所(豊和会例会)にて獅子舞を披露する[豊岡市] |
平成27年 | 2015年 | 新豊岡市誕生10周年記念式典(市役所特設会場、アイティ横道路)に出演し獅子舞を披露する[豊岡市] |