蓮華寺太鼓踊りは、「古代太鼓踊り」とも呼ばれ轟地区に古くから受け継がれてきました。この蓮華寺境内にある森神社に残されていた締め太鼓の胴体部分に「文化三歳 寅年三月吉日 轟区若連中」と記されており、唄われている歌詞には室町時代末期に流行った風流小歌が取り入れられているようです。
また、この踊りは但馬地方各地に伝わっているザンザカ踊りに似通っていますが、轟の太鼓踊りは盆の施餓鬼に踊られる特殊な形態をもち、派手な振り付けがなく、白くて質素な衣装と単調な太鼓のリズムが繰り返されるためこれらの踊りの原型ではないかといわれています。
なお、古くから伝承されてきたとはいえ継承者が途絶え、度々の中断を余儀なくされていましたが、平成四年、三十年以上の中断期間を経たにもかかわらず、檀家の協力を得て「蓮華寺古代太鼓踊り保存会」が発足し、見事復活を果たすこととなり現在に至っています。
参考:「轟の太鼓踊り」(2005竹野町教育委員会・蓮華寺古代太鼓踊り保存会発行)
※現在本堂横において年二回観ることができます。
・施餓鬼法要(毎年八月十四日午後一時三十分より)
・もみじ祭り(十一月中旬)
Video Library
2014年施餓鬼供養(本堂)※ビデオが再生されないときは、"YouTubeの視聴環境"などの文でインターネットを検索し対処してください
江戸時代、仏教の地蔵信仰の広がりにともなって、賽の河原という戒めが民間信仰として広がったと言われる。賽の河原は親に先立って亡くなった子供達がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが賽の河原(三途の川の岸辺)で、親の供養のために石を積み上げ、塔を完成させると供養になると言うのであるが、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、何度塔を築いてもその繰り返しになってしまうという話である。このことから賽の河原の物語は、「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。
しかし、この話には続きがあり、最後に地蔵菩薩が手をさしのべ子供たちを冥界へと導いて行くのである。このような話が江戸庶民の間に流行し、「地蔵菩薩=子供達の仏様」となり、子供たちが主役の地蔵盆が今も各地で行われている。
また、衆生の到達しうる全ての境界を十界といい、これらを石像で現わしている。十界とは地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界のことをいう。