木月道人の障壁画
難波宣太郎(1865-1945)、三重県亀山市の出身で同志社神学校に学んだのち、山陰の網野、北海道の函館、岩見澤、北越の新発田などで伝道にあたった牧師である。新発田にいたころ木曜と月曜に路傍伝道をはじめた。そこから木月道人と称するようになった。漢詩をよみ、書画をたしなみ折々の想いをあらわす。1939年4月より5か月間にわたり夫婦で蓮華寺に滞在し、仏間とそれをめぐる各部屋の襖に見事な水墨画を描いている。牧師である木月道人の作品が現在もみられることは、きわめて稀なる光景である。
臥龍の松の間
書院(山水の間)
仏間(蓮の間)
襖絵左手の詩
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襖絵右手の詩
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松林の間
襖絵の詩(木月自画自賛の詩)
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本堂右手後方に建つ「木月夫婦塚」 |
平成14年4月28日、NHK教育テレビ「こころの時代」で放映された映像から
難波 宣太郎 (木月道人)
難波 とき (木月道人の妻)
木月道人ゆかりの地である京丹後市網野町の墓地に建てられている記念碑
右の碑には辞世の句
「花にくれて家路にむかう心地かな」
という旅立ちの穏やかな思いの詩が刻まれている。
昭和20年5月6日、蓮華寺の揮毫から6年、行年80歳であった。